次から次へと変異するウィルス。
そして毎度毎度の移動制限。

ワシャ、いつ旅行に行けるんじゃ!
我慢も限界。
ワクチンのパワーがみなぎっている内に。何より自粛や移動を制限される前に。
サクッと秋田県へ。
マタギの里を訪ねて参りました。
生きることは「郷土愛」を持つこと
「なんでマタギ?」
まず、そこですよね。
元々、星野道夫さんが大好きで、関連書籍を読み進めるうちに矢口高雄さんも避けて通ることが出来なくなって。

それで少しずつ矢口先生の本も集め出したら、これがまたベラボーにオモシロイ!
特に「マタギ列伝」と「マタギ」はぶっ刺さりました。

読後、何かと「自然と人間の共生」や「野生動物との向き合い方を云々」…みたいなレビューも目にしましたが、私が感銘したのはそこじゃなくて。むしろ圧倒的な郷土愛。
生まれた土地に愛着を持つこと。或いは移り住んだ土地に愛着を持つこと。そしてその土地の人々と供に暮らし、その土地の食べ物をいただく。それがブレない自我を形成し、生活を実らせる。
衣食住を一つの地域で完結させれば、その人の個性も自信も芽生えてくる。
そんな当たり前の黄金率を、矢口先生から学んだんですね。
それなのに、今の世の中ときたらどうです?
ブルーカラー、ホワイトカラーに続いて、ゴールドカラーと呼ばれる富裕層(抜きん出た仕事力と財力で国内外を飛び回る人たち)も現れ、国籍も人種もわからない。
別に、その方たちを否定する気は全くないし、どんな生き方があっても良いけど、多くのノマドワーカーが疲弊しきったように、いつかは根無し草みたいな生活も破綻しそう。
コロナ渦で移動が出来ない今こそ、自分たちの地域を見直すチャンス。近所の小売店、お肉屋さんや八百屋さんと地産地消を繰り返し、コミュニケーションを深めれば、生きる自信にもなっていくのではないかと。
実は地味な生き方こそ最強ではなかろうかと。そんな思いに至ったワケです。
マタギこそ理想の日本人
勘違いして欲しくないけど、基本的に好きに生きたら良いんです。私も若い頃は世界を飛び回る生き方に憧れたし。

ちなみにミニマリストやベジタリアン、スピリチュアル全般など、極端な発想は苦手です。
ノマドで広く浅く生きることと、一つの地域で狭く深く生きることも、一見真逆に見えるけど、蓄積された体験の面積は変わらないワケで。

あとは、そこに満足できるかどうかの問題。
例え地元で一生終えても良いじゃないですか。生活の基盤を築くことは「型」を作ることだと思うし、その「型」がない人って、なんだかフラフラしてる。いつも能力以上のモノを求めたり、「ここではないどこか」を探し続けている。

「いつか六本木ヒルズに住んでやるぜ!」みたいな人って、いまだに居るよね。
もう、そういった価値観はいらないかな。メンドクサイ。だから今の私にとってマタギは理想の日本人。
郷土愛はもちろん、地産地消も完璧。働くことと生きることが一体化しているからブレない。そしてブレない生き方は美しい。覚悟が違う。そこに憧れるワケです。

会社生活は必ずしも生きることとイコールじゃないよ。なんせ不確かな場所だからね。会社以外で共同体の一部であることを自覚できれば、きっとシアワセになれるはず!
マタギとは何ぞや?
マタギって何者?
「で、結局マタギって何なの?」って話ですが、ざっくり言えば、主に熊の狩猟を生業にしていた人たちです。

「生業にしていた」って過去形?
残念ながら、純粋なマタギ(=専業のマタギ)は居なくなりました。メインの収入源である熊の胆(=熊の胆のう)の取引が規制されたためです。

それでも彼らが存在したことは確かですし、わずかながらその生き方も引き継がれています。
マタギとハンターの違いは?
全く違います。難しくこじらせる人もいるけど話は単純。自然への敬意があるか否か。それだけ。
山の恵みが生きることに直結しているマタギにとって乱獲なんてもってのほか。ハンターたちのように奪うだけ奪うなんてことは絶対にしません。そんなことしたら生態系が破壊され、彼らの生活も破綻してしまいます。

スポーツハンティングなんて論外。
サルマタギ(猿の狩猟)のように、絶滅寸前まで追い込んでしまった例もありますが、基本的に生活が潤えば、それ以上の獲物は望まないのです。
いざ!マタギの里へ!
もう前置きはオシマイ。ここから先は旅レポ。
と言っても今回の旅はただの旅じゃありません。言わば聖地巡礼。
ファン目線も込みで、マタギの里(マタギの湯)を訪ねます。
東京駅〜阿仁マタギ駅まで
6:32の特急に乗り込み、角館へ。

角館着9:35。返す刀で今度は9:50発の秋田内陸縦貫鉄道に乗車。これがまた楽しみ。

内陸鉄道の何が良いって湯けむりクーポン。

温浴施設を利用することで、片道分の料金だけで乗車可。

しっかりお金を落としてね!ってこと。
もちろん湯船に浸かる気満々なので願ったり叶ったり。
車内は秋田犬推し。車外は田園風景。これぞ旅。素晴らしい。



山に分断された阿仁(あに)

阿仁マタギって、熊出ないよね。
出発前、熊の出没もちょっと心配になって。沿線に実家のある方へ聞いてみたのですが、答えは「わからない」。
ひたすら知らないわからないの一点張り。
そんなバカな。同じ沿線で距離的にもたった数十km。全く知らないなんてありえない。
でも、トンネルをくぐり抜けるうち、その理由も明らかになってきました。
のどかな風景は角館を出て4〜5駅ほど。あとは深い山中を突っ走るのみ。
ある時期まで、ヨーロッパでも山一つ越えれば言語も文化も違っていました。
秋田も同じ。以前は内陸鉄道のように、山々を越えるインフラが無かったので、他里のことも良くわからなかったのです。
特に戸沢〜阿仁マタギ間は、ずっとトンネル。まるで隠れ里のような雰囲気。
断崖に佇む秘境駅「阿仁マタギ」
10:51分。阿仁マタギ到着


降りたのは私一人。ポツン。
左右どちらを見ても山。


線路正面にはマンガみたいな絶壁。そして川。

明らかにマタギの湯へ行くためだけに作られた駅。
とりあえず木彫りのマタギ像に挨拶して、駅を出ます。

阿仁マタギ駅〜マタギの湯まで
行きは徒歩で向かいます(帰りは無料送迎)。
駅を出て、目の前の道をまっすぐ。突き当りを右。

あとは道なりに歩くだけ。

途中の景色はもちろん、純度の高い酸素を吸い込めることも贅沢。最高です。




阿仁(あに)地域は96%が山林。
山林と言っても登山道のように整備されている箇所はありません。
こんな険しい山肌を、時には雪に足を取られ、さらに重い装備を持って一日歩くのだから、マタギの体力は常人を遥かに凌駕しています。
そんな空想にふけること約20分。マタギの湯へ到着。

マタギの湯(打当温泉)とマタギ資料館
入り口ではササ小屋がお出迎え。



ササ小屋はベースキャンプみたいなモノで、この小屋を起点に山中での猟に励みました。

まあクオリティは置いといて。
貸し切りの湯船
とにかく秋田は寒い!ここまでの徒歩で身体も底冷え。湯船に漬かりたい欲求もピーク。
さっさと会計を済ませて、浴室へ向かうと利用客はゼロ。平日の昼間と言うこともあって人が訪れる気配も一切ありません。

湯加減も丁度よく、長風呂決定。

寒空の中、猟を終えたマタギにとって風呂は何よりのご馳走だったろうなぁ。
気分だけはマタギ。良いじゃないですか。浸らせてください。露天でニヤニヤが止まりません。

マタギ資料館
貸し切り入浴はこの上ない贅沢だったのですが、のほほんと満喫していたら、あっと言う間に1時間経過!
マズイ。内陸鉄道は本数が少ないので、資料館を閲覧する時間も押し気味。
すわ一大事!と言わんばかりに、あたふたと着替えて資料館へ。
そしてこの資料館ですが、良く言えば手作り感満載、悪く言えば…いや、悪く言うのはよしましょう。


このために、はるばるやって来たのだから、じっくり鑑賞します。
まずは火縄銃から。とっても大切なツール。ちなみにマタギ用語ではシロビレ。銃弾を放つことは「シロビレを叩く」。

もちろん気の利いた連射式のライフルではなく、思いっきり単発。誤射は許されません。じっくりと構えて一撃必殺を狙うのです。

もし外したら…コワすぎて考えたくないね。
熊は毛皮から内蔵まで、全て衣服・食料・医薬品などに利用しました。


せっかく苦労して仕留めた熊だから、余すことなく活用したんだね。
絶対重いだろうけど(薬莢入れなど)、これらの装備もかかせません。


手前のシャベルのような木べらはサッテ。雪を掻いて進むための必須アイテム。

オコゼは海の魚ですが、マタギたちが好んで持ち込みました。

山の神様は女性だったのですが、あまりビジュアルに恵まれなかったため、オコゼを見ると「自分よりブサイクな生き物がいる!」などと、大層喜んだそうな。
物騒極まりない刃物の数々。厳かな儀式のあと、仕留めた熊を解体する際に用いました。

なんたるサプライズ!最後の最後で門外不出の書に遭遇!

これらはマタギ以外に見せてはいけないないと言われた山立根本巻(ヤマダチコンポンノマキ)。いわば彼らにとっての教典。
神話をベースに、狩猟生活の正当性などが記されています。
マタギの里を後にして
正直、資料館の規模は小さめで、受付や常駐の方が居ることもなく、薄暗い一室に「なんとなく集めました」的な展示が並んでいるだけ。

もう少し、専門的な方にプロデュースしてもらった方が良かったかなと。
なんやかんや見所はあったのですが、
・写真や動画なども交える
・展示にストーリーを持たせるetc.
などを凝らせば、もう少し「映える」展示になった気はします。
とは言え、実際に見て頭から理解できたことも多々あったので、マタギマニアなら(そんな人いる?)、一度は訪れても良さそう。

展示された重装備は圧巻!冬山に挑む彼らに覚悟も感じたよ!
12月に行ったのも正解。少し想像しただけでも、彼らの苦労や苦心、喜びなどが、厳しい冬山の景色から伝わってきたからです。
そしてそれらの感情が深い山中でワインのように熟成された結果、郷土愛や大自然への敬意へと変わっていったのでしょう。

閉ざされた里山で独自の文化を築いたんだね!
派手な生活より、地味で着実な生活に魅力を感じる私にとって、マタギの生活は正に理想。彼らのライフスタイルから学んだことは貴重な財産になりました。