愛と追憶の街 「幡ヶ谷」【抜け忍のブログ日和 vol.18】

今年の4月でブログも4年目に突入。

 

ちょっとした節目も感じたので、かつて長らく過ごした幡ヶ谷を訪れました。

 

ほぼ14年ぶりです。

  

駅を降りて、まず探したのはパチンコ屋

 

駅の構内、それも階段の途中に立地。かなり珍しいシチュエーションですが、少なくとも20〜30年以上は営業している老舗店。業界は下火ですが変わらず頑張ってほしい。

 

駅を出ると目の前には甲州街道。

 

巨大な陸橋は既に撤去。小気味よく階段を登っていたアパートの大家さんを思い出します。齢70前後だったのですが、かなりの健脚でした。

 

そのアパートを目指す途中の本屋さん。知る人ぞ知る有名店で、なぜか少年ジャンプを土曜日に買えました。

 

以前あったコンビニは成城石井に。店員さんに告ったことは苦い思い出。不審者同然でしたね。

 

アパートに到着…したものの、マンションに様変わり。当時の面影は全くありません。

無理もありません。大家さんは高齢だったことに加え、若干のボケもありました。アパート経営も困難だったのでしょう。

 

そのアパート自体も風呂なし・トイレなし・台所なし・四畳半・日当たりゼロで、独房のような部屋でした。奪われるものも無かったので鍵はかけません。と言うか、かけても扉が締まりきらないので意味がありません。

 

木造のため夏は熱気がこもって灼熱地獄、冬はすきま風から冷気が忍び込み寒冷地獄。もちろんクーラーや給湯など、気の利いた電化製品も一切ありません。

 

住民も絵に書いたような底辺だらけ。借金の督促はしょっちゅう。アル中が暴れてガラス戸を破壊、警察が来たこともありました。

 

それでも住んでいたのは、何かと大家さんにお世話になっていたから。年末には自宅に招かれ、炬燵に入りながらピザやおもちを一緒に食べました。家賃は手渡しだったので、その度に「頑張れ」と声をかけられ、小分けにした柿ピーやお煎餅、余った惣菜などもいただきました。

 

あれから時は流れ、まともな物件に住み、ある程度の貯蓄も出来た今、せめてお礼だけでも言いたかったのですが…。

 

若干の寂しさと虚しさを抱え、かつてのアパートを後に。次に向かったのは観音湯

懐かしいにもほどがある。当時の入浴料は400円。それでも毎日入ることは出来ません。

 

基本的に共同キッチンで頭を洗い、身体は濡らしたタオルで拭くのがデフォ。

 

だから銭湯を利用したときは、全力で楽しみました。お年寄りも多かったので、まだ20代だった私は良く話しかけられ、ここでも色々とお世話になりました。

 

風呂から上がった後は、6号通り商店街をブラブラしたものですが、今や知ってる店は一軒もありません…

…と思いきやありました!ちょっと写メは出来なかったのですが、ブックオフ前の八百屋さんが頑張っていました!独特の呼び声のご主人は片足を引きずるようになっていましたが、まだまだ現役。嬉しかったですね。

 

帰りは幡ヶ谷名物・西日差す甲州街道へ。遮蔽物が無いため、容赦なく日差しが降り注ぎます。

 

帰宅後、当時の写真を物色。すると一枚だけありました。

元々2棟あったアパートを1棟解体。その直後の写真。赤丸の窓枠が住んでいた部屋。

 

写真を見て思い出すのは、苦しかったことばかり。特に体調が安定せず、就職 → 体調不良 → 退職 → 就職 →(以下同)を繰り返していたので、中々貯蓄もたまらず、常にジリ貧でした。

  

転機は29歳のとき。

 

抜け忍
抜け忍

このまま終わりたくない!

 

好きなことが出来なくて、なんの人生か。思い出したら止まりません。

 

旅行大好きマンだった私は、小銭を握りしめ国内・海外問わず好きな場所へ、好きなときに、好きなだけ滞在する生活に突入。

 

それを暫く続けたら、わりと満たされました。消費者金融からの借金もありましたが、逆に奮起しました。

 

その後の展開はプロフィールに譲ります。

 

あれから何が変わったのか。或いは変わらなかったのか。

 

きっと変わらなかったのモノが自分らしさ

 

それを確認できたのが、今回の収穫でした。

 

歳月は流れ、生活環境も一変しましたが、いつの世も自分を見失うことだけは、避けたいものです。

 

固く固く心に誓ったのでした。