完全にネタ記事なんですが、今まで勤務してきた謎の職業を振り返ってみます。
かなりアウトなブラック企業もありましたが、私も「イヤならすぐ辞める」というブラック社員。
加えて体調も上手くコントロール出来なかったので、我慢せず去ることも多々ありました。
この手の話は、ホントにしょーもないと思います。
キチンと知識も技術も身に付けた方は、普通の会社で働けるのですから。
健康管理も出来ず、惰性で流された人間は、当然ながら落ちるとこまで落ちますよね。
その先が真っ黒な会社でも、ある意味仕方ないな、と言う気も。
ま、ヒマ潰しに目を通してくださいな。
某大手家電量販店

新卒で初めて勤めた会社。メーカーに就くべきか、現場で販売するべきか散々迷ったあげく、後者を選択。 当時は近畿エリアの支店に勤めていました。とは言え、一年も持たずに辞めたのですが。
あとで聞いた話によると、同じく新卒で採用された108人は、三年後、20人以下まで減ったそうな。それで仕事の強度も察していただければ。
会社も、とりあえず大量採用でふるいにかけ→残った人間だけを優遇するスタンスだったので、脱落者が出ることは想定内。
業務内容は家電の知識と接客スキルを高めることがメイン。
仕事が終わってからも、新しい製品の知識を覚えるため、居残りで勉強会。
「帰りたい」とも言えず、だるいったらない。
勤務時間は12時間前後だったと思います。
仕事の終了は20:30~21:00。
それから近所に一軒だけあるスーパーで夕飯を買い出し。
ど田舎で飲食店はありません。
帰宅して食事を済ませて風呂に浸かると、もう就寝間近。
プライベートは壊滅的でした。
退職のきっかけは軍隊的社風がシンプルに無理。某支店の店長が、トイレの水を飲んでお店の清潔感を猛アピール。それを良しとしていた位だったから…ちょっとね。

新卒で初めての就職。もっと慎重になるべきでしたね。危うくカメラもキライになりそうでした。
某競馬予想会社

渋谷の外れにあったとは言え好立地。それも自社ビル。よっぽど儲かってるんだろうと思って入社。
内情は酷いもんでした。電話営業が中心で、見込み客を捕まえては高額の情報を売りつけるだけ。
高度な予想スキルを持ってる人間は皆無。
カラクリは、毎週、馬連と枠連を全通り購入→当たった馬券のみを大々的に広告でアピール→それを「予想」で販売。
金払いは良かったのですが、社内はいつもピリピリ。
世捨て人みたいな社員も多かったですね。

今でも競馬雑誌やスポーツ新聞の広告欄に、この手の会社を良く目にしますが…やっぱりアヤシイ!?
ア○ウェイ

「元気になるミーティングに行きませんか?」
おカネもない。彼女もいない。体調も悪い。
こんな時、職場の同僚から、かけられた一言。今から15~16年前でしょうか。
イヤな予感しかないのに行ってしまったんですね。好奇心が芽生えて。
「その前にボクの先輩と食事しましょう」
どうしても会って欲しい人が居るらしく、やたらとせがむ同僚クン。
めんどくさいけど、西新宿のチェーン系カフェで二人して待つことに。
暫くすると、浅野温子ばりのワンレンお姉様がやって来て目の前に座ります。
「ワタシ、年収1000万以上の男じゃないと付き合えなくなっちゃった」とか「頑張れば旅行なんて好きなだけ行けるよ」とか「リスク無いんだから、さっさと稼ごうよ」とか、きな臭いこと吹き込まれてドン引き。
「テンション上がりますよね!この人、いっつも元気くれるんですよ!」
勝手に盛り上がる同僚クン。
ここに来て、ようやくネットワークビジネスの勧誘に気付くニブい私。
「明日のミーティング楽しみですね!」
ハハハ。そうでも無くなってきたかな…。
当日は横浜の某巨大会場に全国から会員と幹部が集結。
物販ではア○ウェイグッズが目白押し。ペラペラのパンフレットなんて¥2000でメチャクチャ高い(中身は幹部のプロフィール)。それでもありがたがって買う人たちに、やっぱりドン引き。
ミーティングが始まるとステージ上では、やれエメラルドだのダイヤモンドだのと、階級ごとに名付けられたア○ウェイのボスたちがスピーチを披露。
その度に会場から声援が飛び交い、特に自分のボスが現れるとコアな信者が大騒ぎ。
退屈極まりない宴は2時間ほどでようやく終了。そそくさと帰り支度を始めると、
「ホテルのスイート取ってるんで、行きましょうよ!」なんて、またもやせがみまくる同僚クン。
そして、やっぱりノコノコ付いていく私。
スイートルームなんて見たことも入ったこともなかったので。
階下を見下ろすタワー型ホテルの最上階に着くと、スイートに案内され入室。
そこには椅子に座った幹部とおぼしき人物が取り巻きに囲まれ、談笑しています。
「お待ちしてました」
ハイ?
「彼から話を聞きました。この仕事に興味あるんですね?」
どうやら同僚クンが勝手に吹き込んだらしく、私をホテルの一室に軟禁、幹部と取り巻きで一斉にハメようとしたみたいです。
「基本的には自宅での実演販売です。ノウハウはこちらから提供しますし、リスクはありません」
優しく諭す幹部様。ですか私のやる気は既にゼロ。
抜け忍「いや、家が狭いので」
幹部様「始めは間取りが狭くて大丈夫。玄関先で販売する方も居ますよ」
抜け忍「まず玄関が無いので」
一瞬、妙な空気になる室内。嘘ではありません。当時の住み処は、学生寮を改築した共同玄関の風呂ナシ四畳半。
幹部様「そ、そうですか…それだと厳しいかもしれませんね。カラオケボックスで販売する方法もありますよ」
抜け忍「とりあえず全くお金がないので。借金もありますし」
室内がまたもや変な空気に。
幹部様「この仕事で借金を返済してみては?」
抜け忍「ご心配ありがとうございます。ですが今日明日生きるのが精一杯なんです」
ペタンコの財布を広げると、出てきたのは、レシートの束と交通費¥1000弱。
変な空気めっちゃピーク。
年収ン千万の幹部様と最下層貧民の奇妙な問答は続きましたが、なぜか取り巻きが余計なチャチャを入れて台無し。
「結婚式とか人が集まるところ狙うとイケますよ!」とか。イケるワケないやん。
その後も何度か勧誘を試みますが、のらりくらりとやり過ごし、最後に私のボロボロのスニーカーとジーンズ姿を眺めると、ようやく諦めてくれました。
幹部様「気が変わったらお返事ください。いつでもお待ちしています」
変わるわきゃない。変わるわきゃないんだけど、幹部様は独特のカリスマを身にまとっておいでで、時間をかけて一対一で説得されていたら危なかったかも。
そんなワケで、結局ア○ウェイに就業したワケではありませんが、ネタとしてカウントしてみました。
だってブラックでしょ?

その後の幹部様や、当時勧誘してきた同僚クンはどうなったんだろう?ちょっと気になっています。
某広告代理店

超ド級のブラック企業。結論から言うと、コワイ人たちが親玉でした。今は倒産したので安心して話せます。
その昔、リクルート発行の「B-ing」に「雑誌編集者」の募集で掲載されていました。しかも募集要綱は35歳まで。
当時、年齢は既に20代後半。未経験でマスコミへの就職は25歳までが暗黙のルールだったので「これはチャンス!」とばかりに面接へ向かうと即採用。しかも希望していた格闘技雑誌の編集部で働けるとのこと。
でも一つ条件が。
「見習い期間は関連会社で広告を作ってもらう」
ン?雑誌の編集は?その質問はウヤムヤ。かなりためらいましたが、同期も多かったので「楽しそうだな」位のノリで入社。
そして担当したのが、なんと夜の求人広告。キャバとかクラブとか男性を快楽に導くお店とか。
泣く子もさらに泣く無間地獄の始まりです。
仕事はテレアポが基本。一時間に40~50件ほどかけて、見込み客を捕まえるのですが、なんせ担当が居ない。
そりゃそうです。夜営業なのに、昼間っから居るわきゃない。
見込み客が見つからずに、いつまでも社内に居ると、元暴走族の特攻隊長だった上司の形相が豹変。酷い時は、どこかへ連れていかれます。
しかもこのテレアポは、通称「アポ禁リスト」と呼ばれるアポイント禁止のお店を避けなければいけません。
いちいちリスト見ながら、アポ禁の店を避けるのは面倒で、それでも誤って電話したなら即アウト。
もろにヤ○ザが経営していた店も多く、怒りに任せて会社に乗り込んで来ることは勿論、コチラから直接謝罪に行って夜中の二時まで土下座させられた社員も居ました。
当然、私も何度かヤバい橋を渡ることに。今でも覚えているのは、西新宿の一件。
首尾良くアポイントにこぎ着け、定刻通り雑居ビルの一室を訪ねると、そこには男二人組が。一人は机の上に足を放り投げて煙草をくゆらせ、もう一人はその傍らで棒立ち。
「兄貴、○○さんが来ました」 「兄貴は辞めろっつってんだろ!社長だろゴラァ!」
放り出した足をそのままに、恫喝に近い怒声が響くと、室内は完全にアウトレイジ。
側に立っていた男が部屋を去ったあとは、明らかに堅気でない男と私の二人きり。
「ま、座ってよ」男の素っ気ない一言に従って着席。そして次の一言は「いくら値引くの?」。
交渉もなにもありません。いきなりふっかけてきました。
とにかく面倒なことはイヤだったので、比較的安価な枠をすすめると「安いじゃん」と即決。スカウトの求人広告でした。
まあ怪しいですよ。どう見てもヤ○ザ。
ベタなコピーを指示されても「こんなので人来ませんよ」なんて一ミリも言えません。ひたすらうなずいて終わり。
背中に冷たい汗を感じながら、雑居ビルを去ったあとは幽体離脱の様に全身の力が抜け、立っていられませんでした。
その後も、何度か似たようなことがありましたが、なんだかんだと居座りましたね。
私も感覚が麻痺していました。お金さえもらえれば、どんな作業でも良かったし、文字を書くのはキライではありません。
「貧すれば鈍す」と言うヤツです。

今でこそネタに出来ますが、当時は必死でしたね。ちなみに係長以上に昇級すると、年一回、八丈島で神輿を担ぐという謎のイベントに強制参加。それもふんどし一丁で。コワ!
某クレジットカード会社

「ウチは外資系だから」
やたらと連呼する妖怪みたいなジジイが社長のカード会社。
今さら外資なんて珍しくもなんともない。
でも、社長は昔の栄光が忘れられないタイプ。
なんでも映画配給会社で勤めていたらしく、全盛期はブイブイ言わせていたとかいないとか。
確かにその頃の外資は珍しかったかも。
そんな社長だから月曜朝イチのミーティングもアメリカンスタイル。
適当なお題を振って、討論させるのが好きでした。
とは言え、仕事に全く関係ないし、最後は決まってパワハラが炸裂。
少しでも反論すると、怒声と供に「ワタシが正しいんです!」で押しきられてオワリ。
業務内容はクレジットカードの営業でした。そこでもパワハラを遺憾なく発揮。
数字へのこだわりが異様に強く、成績不振者は地下の会議室に呼び出され、容赦なく断罪。
時代錯誤のイズムを聞かされた後、降給・降格。それでも数字次第で、再び昇給も昇級も出来たので、某アイドルグループの総選挙のようでした。
とにかく彼のさじ加減一つなので、薄気味悪いイエスマンもいましたね。中小企業あるある。
ここまで散々ボコボコに書きなぐりましたが、私はこの会社が大好きでした。
給与はかつてないほどよく、当時も格安物件に住んでいたので、月々の貯蓄はかなりの金額に。
そしてそれが数年間続きました。感謝しかありません。

勿論、イヤなことやツラいことも多々ありましたが、それ以上に得るモノも学ぶモノも多く、この会社に出会えたことはホントにラッキーでした。
時代おくれの男になりたい
キリがないですね。他にも「えっ!こんなんでお金もらえるの?」みたいな珍バイトや、ヘンテコな仕事もありましたが、それはまた別の機会に(需要ないわね)。
21世紀に入って暫くの間は、まだまだ非効率な仕事がまかり通っていました。
一言で言えば「時代」ですね。
お金もそこそこもらえました。
ちなみに上記6社のうち、4社は倒産、2社は思いっきり事業を縮小。
その「時代」についていけなかったのです。
悲しいかな、私も置いてきぼり。
ここ数年、特に顕著ですが「大量の情報をミスなく高速で処理出来ることがヨシ!」…みたいな風潮ってありません?
どこか人口知能に近づいているような仕事ぶりで、人間は壊れてしまいそう。
ちょっと自分には無理かな。仕方ないです。
私にとって会社生活は一種の通過儀礼のようでした。
「ようでした」と過去形ですが、今後、また勤務するかもしれません。
その辺りも流動的。
遠回りしましたが、少しずつ生き方が模索出来たので結果OK。
ブラック企業を通過しなければ、さらに良かったのですが…こうしてブログネタに出来たので、それも言いっこナシですね。