めっきり見かける機会も減りましたが、加藤一二三さんは超一流の棋士です。
そして敬虔なクリスチャンでもあります。

意外でした?
信じること=信仰することで、自らの力を極限まで引き出せるのが強み。
とは言え、私も含めて多くの日本人は無宗教。

そんな方でも、ありえない力を引き出せる!?
彼の名言から、ヒントを探ります。
注)特定の団体や信仰を勧める記事でありません。
信仰の力
祈るということの本質は、大いなるものを賛美し、謙虚、謙虚に感謝するということでもあるのだと思います。その結果、自分自身に恵みが、福がもたらされるものです。
引用:加藤一二三「老いと勝負と信仰と」
加藤さんは非常に謙虚な方ですが、ベースには信仰心がありました。
普段から大いなるものを信じ、謙虚の心を育み、誰に対しても寛容に振る舞います。
祈りは自分への深みの道…信仰を持つこと、祈ることで、まずはよい心の状態になり、それが結果的に勝負に影響を与える。
引用:加藤一二三「老いと勝負と信仰と」
非常に含蓄の深い発言。
根底で①~③はつながっています。言わんとしていることは全く同じ。
チャートにすると、
↓
冷静になれば物事を俯瞰できる
↓
物事を俯瞰出来れば深く考察できる
唸りましたね。ゆるぎない自信の理由もわかりました。
人それぞれですが、あるいは宗教にまったく興味がないという方でも、信じるに十分値するものを見つけられれば、そのこと自体が大きな力になって、強さになると思います。
引用:加藤一二三「老いと勝負と信仰と」
情報過多の時代で「信じるに十分値するもの」を見つけることは、かなり難しくなっています。
だからこそ、それが見つかった方はシアワセ。間違いありません。
柔和な人
いつも笑顔を絶やさない加藤さんは、正に柔和の代表。
ただその本質は、にこにこしているだけの「いい人」ではありません。
「柔和な人」とは相手にどんな仕打ちをされても、自分のバランスを失わない人のこと。いい人ではなく、その人のそばにいる、それだけで心地いいと感じられる人です。
引用:加藤一二三「老いと勝負と信仰と」
つまり柔和な人=動じない人。
物事に動じない・怯まないと言うのは、勝負事において必須のメンタルコントロール。
やはりここでも信仰で培った自信が加藤さんを支えているようです。
誰もがこの境地に達することはできませんが、謙虚・自信・柔和が同一線上にあることだけはわかりました。
「駒落ち」と人間関係
(中略)人間関係もこの将棋の駒落ちにならいたいものです。できるもの、知識のあるもの、頭のいいものが常に勝つ、上に立つというのではなく、上は下に歩みより、互いに高みを目指していく、これが理想だと思います。
引用:加藤一二三「老いと勝負と信仰と」
勝負師と聞けば「孤高で排他的なイメージ」が先行しませんか?
ですが、それでは物事の向上はありえません。
駒落ちと言うのは、対局の際、幾つかの駒を省いて、お互いのレベルを接近させること。
年齢も性別も越え、あらゆるレベルの方から学びの機会を得られます。
良好なコミニュケーションも生まれ、練習相手にも困りません。
実はプロゲーマーの梅原大悟さんも同じような発言をしていました。
やはりキーワードは謙虚。加藤さんの強さの秘密は、この一語に集約されているようです。
まとめ:「謙虚」でいることの難しさ
加藤さんの著書を読んで思いました。

なぜ、自分は謙虚になれないの?
原因は一つ。
それは「比較」するから。
SNSやネットの常時接続が、容赦なく比較対象を目の前にさらします。
嫉妬が燃え上がれば妬みも沸き上がり、とても謙虚でいられません。
典型的な現代病ですが、処方箋は「自分の世界(=信じるに値するもの)に没頭すること」。
例えばブログ。例えば筋トレ。例えば読書。
いずれも没頭している間は何も気になりません。
加藤さんのように信仰する対象があれば理想ですが、私を含めた一般の方は、趣味の一つ二つあれば充分。
趣味の世界を楽しむことが出来れば万事OK。
・趣味を一つもつこと
・趣味の世界に浸ること
謙虚になれば心も穏やか。穏やかになれば毎日シアワセ。自分の力も発揮出来ます。なにも難しい技術や経験は必要ありません。
やたら「スキル」だ「キャリア」だと騒がしい世の中ですが、趣味をもつことも同じくらい大事。
信じて疑わない管理人でした。