帰宅しても興奮冷めやらず。
香取神宮と鹿島神宮への参拝は感動の連続でした。

管理人の中では、ネズミの国とほぼ同じ。
改めて予習が大切なことも解りました。
予備知識の量で、ありがたみに差が出ますね。
ほんのさわりですが、今回の記事が訪れる前の一助になればイイかなと。
一味違った風味で掘り下げてます。
東国三社とは?

かつて「お伊勢参り」が一大ブームだったことは、ご存知?
元々、平安時代に朝廷の財政が悪化したことがきっかけ。
そのため伊勢神宮が御師(おし・旅行業者のようなもの)を雇って全国に布教、信者たちのお布施で負債を埋めました。
さらに江戸時代になると、「一生に一度は行きたい」と言う伊勢信仰に発展。
大変ポピュラーになったのです。
ただ、そうは言っても関東からは並大抵の距離じゃありません。
そこで「香取神宮・鹿島神宮・息栖(いきす)神社の参拝=伊勢神宮と同じご利益」という解釈が浸透しました。
現在も息栖神社のみアクセス悪いのですが…な~んて、昔の人に怒られそう!?
時間と体力に余裕がある方は、是非、東国三社をコンプリートしてみて。
タケミカヅチとフツヌシノカミ

鹿島神宮のタケミカヅチと香取神宮のフツヌシノカミは、言わば兄弟。
日本書紀での記載になりますが、二柱ともイザナギがホノカグヅチを斬った際に生まれました。
ところが、肝心の神話では扱いに差が。
フツヌシノカミは、どちらかと言えばサブ。
どうやら7世紀に香取神宮と鹿島神宮を管理していた中臣氏が、タケミカヅチをひいきにしていたようなのです。
とは言え、フツヌシノカミも人気があったため、後々まで供に繁栄しました。

ちなみに古代語「ふつ」は、切る時の擬音「ぷっつり」の語源。フツヌシノカミの「フツ」も「悪霊を斬る」と言うニュアンス。カッコイイね!
境内ウォーク with 深呼吸
日本人にとって森は、神が住まう場所 or 降り立つ場所。
だから社も林の奥深くにありますよね。
昔の人たちがうっそうと繁った境内を歩けば、きっと神々を身近に感じたはず。
でも、これには科学的な根拠もあります。

日本医科大学が中高年12人に森林歩行をさせた結果、ナチュラルキラー細胞の活性化や、生体の抗がん能力も高まったことが解りました(「森を歩く」P34)。
森を歩くことで、不思議と人間の活力が高まるのです。
そのことが「ご加護を感じた」「見えない力を感じた」などの感覚に繋がったのでしょう。

マジか?
マジです。
そうと解れば、境内でゆっくり深呼吸してみません?
肺に酸素を送りめば、脳も身体もリフレッシュ。
活力を高めて古代人の感覚に近づくのも面白いですよ。
その他の見所
小林一茶の句碑
趣味丸出しなんですが、田辺聖子さんの「ひねくれ一茶」が大好き。

立て札を見つけた時は、何度も句を詠んで、まあ、はしゃぎました。

小林一茶の句碑ってアチコチで見られるんだけどね。
ご神木巡り
ご神木巡りも楽しい。実際目にすると、やっぱり違います。

樹齢1000年の質感は、現地で確かめるしかありません。
気軽に触れるのも、おそれ多いのですが。
さざれ石

君が代でお馴染みのさざれ石。
「なんで岩にしめ縄?」
不思議ですよね。
岩の読みは「イワ」ですが、その語源は「イワウ」。つまり「祝う」と同義。
巨石を積み上げた古墳の石室も、岩に霊魂が宿るという信仰がベース。
縁起が良いことは勿論、神の依り代でもあったのです。
ニニギノミコトがイワナガヒメを迎えていれば、「イワ(岩)のようにナガ(永)く」命が続いたのに…。
神道山古墳群
残念無念!
香取神宮から香取駅へ向かう途中にあるのですが、登りの階段で太ももに痛みが…。


古墳を目にすることなく引き返す羽目に。
ひたすら凹みましたね。是非ともリベンジしたい案件。
大人の修学旅行
中高生と違って、嫌々奈良で寺や大仏を見る必要はないんです。
興味の赴くまま、好きなところを好きなだけ回るのが大人の修学旅行。
その際、やっぱり予備知識は必須。
せっかく出会った建造物も、ただの木の塊で終わったら感動も薄味に。

勿体ないって。
そうならないためにも、キチンと予習して、旅行や散策を有意義なものにしたいですね。
今後も予習×体験×ブログでインプットとアウトプットを繰り返します。
近頃、歳のせいか物覚えがよろしくないのは、ここだけの話。
ブログを活用して、トホホな脳に刷り込もうかなと。
これで記憶に残らなかったら…ちょっとね。
オモイカネノカミに相談かな?