はじめにお断り。
山は登るものであって滑るものではありません。
絶対マネしないように。

しないわ。
ココは強調したいところなので。
高尾山も富士山も登るのは大いに結構。
でも、滑るのはホントにやめて下さいね。
とてつもない危険が伴うので。
それを踏まえた上で本題。
結論から言えば、タイトル通り前代未聞のチャレンジは成功しました。

ただし、シェルパ6人の犠牲の上です(シェルパ → 物質などを運搬する地元民)。
エゴ、虚栄心、承認欲求etc.…
様々な思いが交錯する中、最後の最後に転倒もしましたが、なんとか目標達成。
帰国後に美談として語ることが出来たのは、一重に三浦さんが生き残ったから。
万が一亡くなったら、(自然の不可抗力があったにせよ)パーティーを危険に向かわせた稀代の悪党になっていたかも。
たしかに探険なんていう仕事は道徳的なことじゃない。平和な世の中で自分の仕事のために、自分だけじゃないにしろ、自分たちがかかげた理想やビジョンと称するもの、その行為の途中で、それとは関係もない人の死を見る。多くの人は、罪もないシェルパを殺したというだろう。
引用:三浦雄一郎「エベレストを滑った男」
Googleから抹殺された迷惑系YouTuberたちと、ほぼ同じ。
独自性を求めるあまり、彼らの一部は犯罪者へ転落しました。
今は穏やかな三浦さんですが、37歳当時の彼には、ロマンと紙一重の複雑な感情が潜んでいたのです。
「エベレストを滑った男」のレビュー
値段 | ★★★★★ | 50円。コンディションも良さげ。 |
内容 | ★★★★☆ | 詩人な一面にギャップ萌え。 |
遭遇率 | ★★☆☆☆ | 山岳専門の古書店ならあるかも。 |
スキ度 | ★★★★☆ | 若き日の独白記。貴重な一冊です。 |
この本には二面性があります。
・探険や冒険には犠牲が付きもの
・犠牲を払ってまで達成することの意義
著書ではあまり語られませんが、高所登山には、かなりの犠牲がともないます。

五体満足でいられないことも、しばしば。
山男の常識と一般人の感性の違いに三浦さんは悩みます。
しかしその葛藤を乗り越えた先にしか、冒険での成功もありえないのです。

非常に男性的でマッチョな思想だと思う。
一方で、極端なロマンチストぶりも発揮(=強力な厨二病)。
プロ、アマというカテゴリーは、プロにとって必要のないこと、プロとはその仕事を通じて自己を命のかぎり生きつづけ燃やしつづける生き方なのじゃないでしょうか。
引用:三浦雄一郎「エベレストを滑った男」
彼にとって登山やスキーは、自己表現であり生き方そのもの。妥協を許さず、己の道を追及するもの。
あしたのジョーのように完全燃焼を求める生きざまは(後に冒険遺伝子と呼びました)、確かに美しい。
同時に自己満足の世界でもあるワケです。
そんな苦悩を乗り越え、ボロボロになったカラダにむち打ち、今でも山を登る三浦さん。
善悪や生死の先にあるものを目指して、彼の挑戦はまだまだ続きます。

引用:三浦雄一郎「エベレストを滑る」